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@ゲー単走部

ローグライク雑記。変愚蛮怒、DCSSなど。

DCSSにおける戦略と実プレイングの関係性に関する一考察

2015ローグライクアドベントカレンダーの埋まらなさが酷いと思った(←二回目)ので、今日も記事を投稿して、
誰かが触発されて記事を書くのに期待しよう。

今回は、戦略と実プレイングの関係性、というテーマでDCSSを考察してみたい。
具体的な話題ではないので、そういう話題がほしい読者には申し訳ないが、逆にDCSSを全然知らない読者でも読めると思う。

1. DCSSにおける「戦略」とその優劣
戦略というと難しい響きだが、要するに、DCSSにおける大局を見据えたキャラ育成、いわゆるビルド構築のことを指して言っている。
数年間DCSSをプレイして得られた認識が間違っていなければ、DCSSは、スキル制により、自由にキャラを構築していくゲームである。

最初からこんなキャラを目指したい、こんなキャラを作りたい、と机上であれこれ計画を考えてから、ゲームを開始することもある。
一方で、特に何も考えず、ダンジョンで拾ったもの次第で、キャラを育てる方向を柔軟に変えていくスタイルを取ることもある。

どちらのスタイルを取るにせよ、そこには「ビルド構築」という、れっきとした戦略が存在しているのだ。
そして、その「ビルド構築」には、優れたものもあれば、そうでないものもある。その二つの違いはなんだろうか?

当然、何を「優れたビルド」と定義するか、によって答えは変わってくる。
ここでは、楽に脱出できるビルドを優れたビルド、優れた戦略とみなすことにする。

こう定義したならば、優れたビルドとそうでないビルドとの違いは極めて明白だ。
定義通り、楽に脱出できるかそうでないか、それだけの違いである。


2. 「戦略」の優劣と「実プレイング」の優劣の乖離
さて、ここで疑問が出てくる。
優れた戦略家は、極めて容易に脱出できるビルドを考案し、実践するだろう。
だが、優れた戦略の下で行われるプレイングは、一般的な観点からして、果たして「上手い」といえるものたりえるだろうか?

DCSSは紛れもなくローグライクゲームである。
ゆえに、DCSSの実プレイングの上手下手を判定する基準として、一般的なローグライクにおける上手下手の基準を借用するのは、
決して的外れではあるまい。

色々基準はあると思うのだが、その基準とは、次の二つに集約されるのではないだろうか。
・頻繁にピンチに陥るようなプレイをしていないか
・もしピンチに陥ったとき、手持ちの手札を利用して上手く切り抜けられるか

だが、この二つは現実的に両立しうるのだろうか?

「理想的ともいえるほどに優れた戦略」の下で行われるプレイでは、ピンチに陥ることなどあるはずもない。
ピンチに陥ることが頻繁にあるのなら、その戦略は優れてはいないのだ。
少なくとも「理想的といえるほどに優れている」というレベルには達していない。

(私の偏狭な感覚で論じていいのなら、ちょっと余所見しながらでも脱出できる戦略こそ、真に優れている。
数手ミスしてもピンチに陥らない戦略こそ、真に優れている。
ゲームをプレイするのは、万能の神ではなく、しょっちゅうミスをする雑な人間なのだから。

一方、常に集中したプレイングを要求し、一手ミスしただけで崩れるような戦略は、優れているとは言いたくはない。
もちろん、ミスが一切なければ100%脱出できるような戦略であるのなら、緻密な戦略である、とは言えよう。
だが、そんな戦略があるとは聞いたことがない。実際に存在しているのは、何もミスしなくても崩れる、いわば劣った戦略だろう)

そして、ピンチに陥ることがあるはずもないプレイでは、ピンチ時の対処能力など鍛えようがない。
ゆえに、優れた戦略家のプレイは、上手などと言えるものではなく、下手な可能性はあるのではないか?
「理想的ともいえるほどに優れた戦略家」に、劣った戦略のキャラをプレイさせたら、果たしてちゃんと脱出できるのか?

もちろん、現実のDCSSでは、ピンチに一回も陥らないプレイなど滅多にあるものではない。
だが、その回数を少なく抑えられるのであれば、少数のピンチ時の対処など何も考える必要はない。
blink巻を読むなり、アビスに逃げるなり、時間ジャンプするだけの簡単な作業で終わってしまうのだから。

3. 実プレイングを上手くするためには劣った戦略をプレイすればいい?

それでは、実プレイングを上手くするには、どうすればいいのだろうか。

優れた戦略を構築できるのであれば、基準その一は満たせている。が、基準その二は、満たせるのか満たせないのかは不明である。
(論理学的には、「Aである」という命題が真であるなら、「AでないならBである」という命題も真であり、
基準その二も満たせているとみなすべきだが、ここではそういう話をしたいわけではない!)

基準その二を満たす方法として簡単に思いつくのは、優れた戦略の逆、つまり劣った戦略をプレイすることである。
劣った戦略であれば、頻繁にピンチに陥ることが予想され、生き残るためにピンチ時の対処能力が嫌でもつくのではないか、という考えによる。

あるいは、緻密な戦略をプレイすることも思いつく。
頻繁にミスをする雑な人間が緻密な戦略をプレイする場合は、いちいち要らないミスをして余計なピンチを招くことになる。
その場合も、生き残るためにピンチ時の対処能力が嫌でもつくのではないか。
あるいは、いちいち要らないミスをしないために工夫を凝らすことで、戦略構築も実プレイも同時に上手くなるのではないか。
そういう安直な考えによっている。

4.でも、本当にそれでDCSSの実プレイ上手くなる?
以上の話は、ローグライク一般に適用できる話であり、DCSS固有の事情ではない。
そして、DCSSは紛れもなくローグライクの一つであるから、上の話を適用でき、
下手な戦略をプレイすれば実プレイングは上手くなる、と結論できるように思える。

……だが、話はそう単純ではないのだ。DCSSにはDCSSの固有の事情があって、以上の考察とは微妙にかみ合わない部分がある。

それは、最初にも書いたように、DCSSは「スキル制に基づく自由なキャラ育成」がメインのゲームであるということ。
そして、「そもそも物資を上手く活用するようなゲームバランスにはなっていない」ということ。この二点が挙げられる。

先に書いた実プレイングが上手い基準として、「手持ちの手札を活用して上手く切り抜けられる」というものを挙げた。
この「手札」というのが問題なのだ。
DCSSにおける「手札」とは、「スキル制に基づいて構築されたキャラがもつ手段」に他ならない。
ゆえに、DCSSにおける「手札」は、自ずと「戦略」による制約を受ける。

極端な話にはなってしまうのだが、真に劣った戦略では、そもそもピンチ時に有効な対処そのものが存在しないということになる。
したがって、ピンチ時の対処能力など鍛えようがない、という結論に達してしまうのだ。

また、育成されたキャラが有効な手札を持っておらず、まともに敵に対処できないとしても、
そもそも消耗物資がその辺に落ちているから、それで対処すればいいという考えもあるかもしれない。

だが、DCSSというゲームは、幸か不幸か、消耗物資を上手くやり繰りして対処していく、というゲームバランスにはなっていないのだ……。
優れた戦略のプレイでは物資は余る一方、劣った戦略のプレイでは物資などいくらあっても足りない。
真に劣った戦略で物資を上手くやり繰りしようなどと考えるものなら、すぐに破綻してしまうだろう。

5.「戦略」と「実プレイング」の不可分一体性

結局のところDCSSでは、「実プレイング」を上手くするためにも、「戦略」の構築が極めて重要だ、という結論に達する。
この2つは密接に、そして複雑に関わっている。

どちらか一方が上手くなればもう片方も上手くなる、というような話には帰着できない。
戦略構築が上手くなればなるほど、実プレイングスキルは怪しくなってくる。

一方で、どちらか一方を下手にすればもう片方が上手くなる、というような話にも帰着できない。
下手糞すぎる戦略を組んだところで、実プレイが上手くなるわけではない。
下手糞に限りなく近いが、緻密にプレイすればギリギリ脱出できる、そういう戦略を構築することが求められる。